森のさんぽみち

2005/10/1 チカラ

 人はとても無力です。
 無力だから祈ります。
 そこから、信じたい力が生まれます。

こあら

 
2005/2/20 言葉にすること

 じぶんが何を感じているか、考えているかは気をつけないとあまりわかりません。たま〜にすご〜くしっくりくる言葉でぼや〜んとした気持ちを表すことができると、とってもきもちいいです。そして、言葉にできると次の場所にいけます。
 その場所が、いつも気分のいいものとはかぎりませんが、なにかわからない不安よりはずっといいです。

こあら

2005/2/3 対岸の彼女

 最近読んだ本のタイトルです。本を読むのは、ごはんを食べるのと同じくらい私の日常ですが、「これこれ!」と思う味にそんなに頻繁に巡り会わないように、「これこれ!」という本にもそうそう巡り会うわけではありません。でも、久しぶりに会ったのです。まだ読んでいない方のために内容を話すことはしませんね。なんというか、大人の女の人に読んでほしい本です。(おそらく男の人にはこの小説わからないと思う。私の勝手な憶測ですが。)いつか、この本を好きだと言う友だちにも巡り会いたい気がします。こじかでした。

2004/10/18 秋の夜長

 ときどき不安になることがあります。人からはすべてにおいて順調に見えるそんな時、ふと金縛りにあったような怖さに捕らわれることがあります。自分でもその感覚は説明がつかないので、仲良しの友だちに話したところでわかってもらえるはずはないと勝手に思い込み、ひとりでさらに落ち込んでいきます。
 でも最近、そういう場合の対処法をひとつ見つけました。9冊の本をすぐそばに置いておくことです。3冊のお気に入りの本、読みかけの3冊の本、まだ読んでいない3冊の本です。それらを見ていると、だんだん気分が落ち着いてくる気がします。過去の自分と現在、そして未来らしきものがぼんやりとでも見えてくるからでしょうか。理由はともかくそんなわけで、私は最近たくさんの本に囲まれて暮らしています。おかげで秋の夜長も短く感じます。みなさんはこの秋、いかがお過ごしでしょうか。

こじか

2004/9/27 「あめのひ」

 ある日、とつぜん大雨が降りました。なんども。
 みなさんは、そのとき何をされてたんでしょうか。
 私は玄関から外をみていました。(玄関の中にいたので、私は濡れることもありませんでした。)
 ちょうど夕方で、大雨の中カッパを着て自転車にのった配達の方が私の家のポストにも夕刊を届けてくださいました。ありがとうございます。
 小学生とお母さん(と思われる)がそれぞれ傘をさして、「今日は体育館でしか遊べなかった」と話していたり。
 ひとつの傘に、お友達(だと思う)が二人で雨にぬれないように入っていました。でも、風が強かったためか、傘の一部の骨が折れちゃってました。
 そして、車に乗った人もいました。
 あきらめて(かなぁ)傘をさすこともなく、晴れている日のような感じで歩いている人もいました。びちょびちょ。でも、ちょっと楽しそうとか思ってしまったり。
 玄関のドアの四角のスペースからだけみえる外は、映画やテレビの画面のようでした。そして、いろいろな人が通る風景がまるで映画をみているように思えました。
 いろいろな登場人物がいて会話をしたり、走ったり。
 そんなふうに映画みたい〜と思ってぼやっと心地よく過ごしていたら、急に目の前に車が停まり、車に乗ってた人が私の方に向かって走ってきました。
 急に登場人物に話しかけられてびっくりしたら、同じ家に住む人が家に帰ってきたのです。
 なんだか不思議な時間でなかなかよかったです。
 そして、どうぞ雨に濡れた方、風邪などひいたりしてしんどくなりませんように。

こあら

 
2003/12/3 「いつも元気な人」

 ある人は、「いつも元気に見える」って人からよく言われるそうです。その人は私に「実は元気な時にしか人に会ってなかったりして。」と言ってました。そう言われて、私はすごくなっとくしました。

 私はその人は自分を たいせつにしている人のような気がします。

こあら

2003/11/4 こどもぎらいなお医者さん

 「ぼく、こどもきらいですから」とあるお医者さんがいいました。
 このお医者さんはこどもをたくさん診ている人です。
 最初にこのことばを聞いた時はさすがにどきっとしました。たぶん「こどもがきらい」と聞いたからではなく、そういうことをあんまりあっさり言ってしまうことに驚いたのだと思います。その人はそのあとこうも言いました。
 「ぼくは、自分の診察室におもちゃを置くのきらいなんです。よくあるじゃないですか。遊ばない薄汚れたおもちゃや壁にキャラクターの絵が貼ってあったりするの。キティちゃんとか、ああいうのでこどもは慰められませんよね。それだったら、よっぽどちゃんとした絵の方がいいですよ。」
 私はここまで聞いたらうれしくなりました。同志を得たような気分になりました。考えてみたら私もこのドクターと同じようなことを考えていたのでしょう。こども受けをねらった商品や室内装飾はこどもをばかにしているようできらいだったのです。
 こどもを取り巻く環境、今一度点検してみた方がよさそうです。こどもは案外「おとなが悲しむと気の毒だから喜んでいるふりをしよう」と無意識の内に思っているのかもしれません。
 こどもぎらいなお医者さん、この人ほんとうは一番こどもを大切に考えている人なのかもしれません。

こじか

 
2003/7/17 「いつも」

 とつぜんですが、みなさんの「いつも」は どれか わかりますか?
 どうしたら「いつも」って人は思えるのでしょうね。「いつも」があるから「いつもでない」があるのですよね。どれをもって、「いつも」と思えるようになるのでしょうね。そして、どれをもって「いつもでない」と思うのでしょうね。

 私はよくわからないんですが、自分がおおく居る場所が「いつも」と思えると生きやすいのかなとふと思いました。ふと思っただけなので、あまり確信できてませんが。。。

 もし、よかったらみなさんのご意見をおきかせください。

こあらでした。

2003/7/1 脳死移植と赤ちゃんの人権

 先週、「脳死した十五歳未満のこどもからの臓器移植を小児科学会が容認する」という記事を読みしばらく考え込んでしまいました。確かに移植によってのみ助かるこどもたちが、これからは国内で手術が受けられるようになるということは朗報でしょう。けれど、何か割り切れない思いも残るのです。
 それは、「ドナーとなるこどもの自己決定権がどれくらい守られるのか」が見えてこないからです。心臓移植のドナー対象となるこどもの多くは赤ちゃんです。いくら親がわが子をドナーにすると決めたとしても、そのこども(赤ちゃん)自身は本当にそれを望んでいるのでしょうか?そこが一番気になります。
 私がそういう脳死の赤ちゃんだったとしたら・・・と想像してみました。そうしたら私は、自分自身の一部が他の人間のからだの中で生きることを望まないと思いました。なので、私のように思う赤ちゃんもきっといるに違いないと思ったのです。そういう赤ちゃんの気持ちも、移植を望む人々の気持ち同様、大切にされるべきだと思っています。
 もうひとつ、これは私だけなのかもしれませんが、ちょっと居心地の悪い感覚があります。移植を待つ家族が、「早く心臓が来ないかな」というように、つまり間接的に他の赤ちゃんの死を願う心のメカニズムになりはしないかという感覚です。私の考え過ぎでしょうか。
 脳死移植にまつわる議論は始まったばかりですが、何よりも移植を受けるこども、ドナーになるこども、そのひとりひとりのこどもの人権に配慮したガイドラインが作られることを強く願っています。
 ・・・久々に登場したら何だかムズカシイ話題でごめんなさい。こじかでした。

2003/5/10 “逆説的幸福論” (みみずく)

 「幸福であるためには『現在』以外のものは全く知らないということが必要だ。」
・・・とアナトール・フランスが晩年に言った、
・・・とニコラ・セギュールが著書『知性の愁い』に書いている、
・・・と岡井隆が中日新聞“けさのことば”で紹介していました。
(なんと言う回り道による知識!!!

“過去を悔やみ将来を憂うるからこそわたしたち人間は「幸福」から追放されている。わずかな幸福は「現在」以外のものを「全く知らない」時だけやって来る”のだそうです。

 私は、大学でお世話になった教授の卒業式の祝辞「君たちにはこの大学での学生時代の思い出を後生大事にしてほしいとは思わない。なぜなら、過去のことをひきずることで今を生きることを忘れてしまってほしくないし、過去を振り返る必要もないくらい充実した日々をこれから築いていってほしいからだ。」
という言葉を重ね合わせました。

 気がつくと過去の失敗に囚われ、将来の不安におびえながら生きている自分がいました。『現在』以外のものばかりに目が向いて、結局そのために瞬間瞬間の輝きから目をそらす結果になっていたのですね。そこここにちりばめられているはずの「幸福」に気付かずに・・・。

 
2003/4/26 めんどうくさいこと。

 めんどうくさいことって、たくさんありますよね? いろいろな方法があって、そのめんどうくさいことを便利な方法を使って省くことができるようになっていると思うんです。私は便利な方法があるなら、それを使ってもいいんじゃないかと さいきん 思うんです。そして、便利な方法を使うことができる世界にいる私は、ときどきそれを 使わざるをえないと感じてしまう世界にも同時にいると思っています。だから、そういうときは、使ちゃいます。そして、ただ便利な方法を使いたいときも。
 でも、便利な方法の中にはめんどうくさいことが省かれることのほかに、気をつけないと忘れてしまう大切なことも、省かれてしまうと思うんです。このことに気づきながら便利な方法を使うことと、知らずに使っているのとでは、すごく違うと思うんです。
 また 気づかないで便利な方法を使いつづけると、いつか 生きることが できなくなっちゃうような気がします。なんとなく そんな気がしてます。みなさんは、そんなこと ないですか? 私だけかなぁ。。

こあらでした。

2003/2/26 おひっこし

 最近、私が通っている施設のこども達の間で引っ越しのことが話題になっています。「○○に新しい家を作ってるんだよ。」とか、「東京に家を見に行った。(よ〜く聞くと東京じゃなかったんだけど)」とか。「こんどからおばあちゃんと一緒に暮らす。」とか。それぞれにいろんな引っ越す理由があるんでしょうが、4月からこの子たちはみんな新しい環境に入っていくんだよなぁ。
 そういえば9月に引っ越してきたある子から「ほんとは僕、引っ越したくなかった。」と泣きながら訴えられたことを思い出しました。引っ越しから3ヶ月たっていたのですが、その間ずっとそう思っていて、その日やっと口に出して言えたのです。その子にはまえの学校に大親友がいて、「大きくなったら一緒にアメリカを旅行する約束した」と話してくれました。私はただ、話を聞くだけでしたけど。
 これから引っ越しをする子たちが、その先で楽しく過ごせるといいなぁ。

りす

2002/12/24 こあらのひとりごと

 「来年」とよばれている年が、もうすぐ「今年」にかわりますね。
 この時期になると、どんなに自分がわすれていても、「今年」という時計の時間のくくりで、ものごとを考える機会にであいます。「今年はどんな一年でしたか?」、「今年一番の思いでは?」、「来年したいことは何ですか?」など。テレビや新聞をみてもそのようなフレーズで特集がくまれていたりします。
 こういうとき、私はあまり時計の時間で日々すごしていないんだということが、よくわかります。そして、このようなくくりで考えることのたいせつさが、よくわからなかったりします。(だれか、よかったら教えてください!)「今年」という時計の時間のくくりで問われても、どこまでがその「今年」にはいって、どこまでが「今年」にはいらずに、「去年」や「一昨年」というくくりにはいるのか、ふりわけができなかったりします。
 でもだんだん、時計の時間でとらえた先の予定をしっていたり、たてたりするようになったとおもいます。いぜんはスケジュール帳なんてひつようなかったのに。1週間後の予定をきかれることもなければ、そんな先にすることを今決めることもなかったです。今は、1か月や2か月先のことは、自分でも慣れてしまうほど聞かれる環境にいるようにおもいます。そして、このようなときは、時計の時間で考えて人とはなしをしています。どちらがいいのかは、わかりません。でも、時計の時間で考えて人とはなしていても、その先にある、ほんとうにはなしたいことは、時計の時間ではない、時計の時間ではくくれない、「じかん」についてはなしていられるといいなぁとおもいます。

2002/11/2 試す勇気ありますか?(こじかより)

 こどもたちは毎日たくさんの薬を飲んでいますが、中でも「ファンギゾン」という薬は苦手のようです。オレンジ色のどろどろの液体で、味は何とも表現できない「まずさ」だそうです。かねがね中学1年生のK子ちゃんに「先生、絶対飲んでみて!」と言われていますがまだ機会がありません。(ただ、機会があっても飲む勇気があるかどうか…?)そんなK子ちゃんが「こんなのもあるから食べてみて!」と推薦してくれたのが次のメニュー。

 1. りんごと牛乳を一緒に口の中に入れて食べる→いちごミルクの味になる
 2. カスタードプリンに醤油をかけて食べる→うにの味になる
 3. きゅうりとはちみつを一緒に食べる→メロンの味になる

WOW!でしょ。みなさま、どうぞお試しあれ。私は、まだちょっと勇気がでませんが…。

2002/10/21 みみずくのひとりごと

 丘の上に立つこども病院に箏奏者のAさんが訪れました。血液腫瘍科外来から始まり、血液腫瘍科病棟、受付ロビーエリアでのミニコンサートを経て、小児ICU、外科・内科病棟での演奏で幕を閉じました。Aさんのご希望のとおり、特に宣伝したり大げさなステージをしつらえたりせず、そのままの環境に溶け込むように静かに静かに演奏は一日続きました。病室から出てきてじっと演奏に聴き入るこども達、AさんのCDを譲ってほしいと申し出る患児の母親、そして何より目に付いたのは険しい顔で忙しく働いていた何人もの医療スタッフの方々が、箏の音に気付きふっと足を止め、しばらく佇み、そしてリフレッシュされた微笑をたたえて再び仕事に戻って行く姿でした。ここで再生されたスタッフの方々の心のゆとりは必ずこども達への治療にも還元されているはずです。この日Aさんが捧げてくださった貴重な時間と特別な演奏は、その箏の音を耳にした人々それぞれの心の中に深く静かに広がり、希望の香りを放ち、いつまでも残るものとなったことでしょう。

2002/10/15 新幹線「喫煙」車両

 新幹線の喫煙車両ってほんとにすさまじいですね。じつはこのあいだ新幹線「3号車」を体験してしまいました。といっても2号車へ行くための通路としてのほんの1〜2分間のことだったのですが、あれはひどいです。煙りで車内は霞がかかったように灰紫色。呼吸は困難になるし、涙は出るし。さらに胸が詰まったのは、そこにこどもたちがいたことです。そんなことがあっていいのかな? passive smoking の害知らないのかな?
 とにかく世の中のおとなの方々、喫煙車両にこどもを乗せないでください。あれは犯罪ですよ!ほんとは喫煙車両を全部なくしてほしいけど、とりあえずこどもを巻き込むことは今すぐにやめてほしいと思いました。
 ・・・動物占いによると”ナチュラリスト”のこじかでした。

2002/10/6 公共施設のプレイルームで

 先週、ある公共施設(公民館かな?)のプレイルームのような部屋に行く機会がありました。その日はたくさんの子たちが遊びにきていました。たぶん、別の部屋でご両親が会議をしていたり、講座を受けていたりするんでしょうね。プレイルームには本やおままごとなどの遊び道具がいっぱいあって、こどもたちはみんな楽しそうに遊んでいたように思いました。
 その中に3歳くらいの女の子がいました。彼女は置いてあったマットを自分の好きな場所に移動したくて、その場にいた小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちに必死に「手伝って」とお願いしていた場面がとても印象的でした。本当はそのマットは動かしてはいけない事になっているらしく、頼まれてしまった小学生はちょっと困った様子でしたけどね。女の子は想いが通ってマットの上で上機嫌にねころがっていましたが、施設の人からは目をつけられてしまったようでした。「おままごとはこの枠の中だよ」とか「そのおもちゃは2歳までだからね」とか、施設の人からきまりごとをたくさん言われてました。
 もっと他の接し方はできないのかしら?   りすでした。

2002/10/3 こあらのひとりごと

 カラダが疲れたようで、ずっと眠っていました。目が覚めているときも、ぼ〜っとしていました。たくさん考えたいことがあったけど、とても考えられる状況ではなかったようです。すこし元気になって、テレビをつけるとニュースが流れていました。私が眠っていた間にも世の中には、いろいろなことが起きていました。あたりまえだけど。
 うれしい時間をすごしている人もいれば、かなしい時間をすごしている人もいると思います。おなじ時間をさまざまな想いですごしていることでしょう。「おなじ時間」ということだけが共通していることだと、ふとなぜか思いました。そして、苦しいと感じている人の苦しさが少しでも できれば はやく ラクになれるように祈ります。私には祈ることしかできません。
 そして、私はまた みんながいて いろいろなことがあるであろう 日常に戻ろうと思います。

2002/9/27 こじかのひとりごと

 先日、こどもたちとコラージュ(貼り絵あそび)をしようと思ってきれいな写真のある雑誌を捜していました。看護助手さんのアドバイスによって病院のごみ収拾場所へ行ってみると、そこで院長先生の秘書の方に会いました。コラージュの話をするとご自分のおうちにある雑誌を持ってきてくださることになり、翌日には『ニュートン』を20册も届けてくださいました。さらに医局の隣の席のM先生はご自分の愛読書である『サッカーダイジェスト』を3册もくださいました。このように沢山の方々の助けをお借りして毎日の活動は成り立っています。来週のコラージュが楽しみです。

 

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